とある秋の夕暮れ、泰衡は近付く戦に備えて、一人束稲山の麓に馬を歩ませていた。
おそらく鎌倉軍は白河の関を越え、奥大道を北へ攻め上ってくるだろう。
なので、そちらに主力を割くのは無論の事。その為の準備も滞りなく進んでいる。
だが、鎌倉は奥州の豪族にも圧力をかけていた。
いつ圧力に屈して寝返る者が出るとも限らない。
背後を突かれることなきよう正面だけでなく、各方面に気を配り、備えを万全にしておく必要があった。
常に不測の事態が起こり得るのが戦というものだ。
泰衡はあらゆる可能性を考慮し、兵力を計算していた。
気づけば陽がゆっくりと西の山に傾きかけている。
そろそろ館に戻った方がよいだろう。
彼はゆっくりと馬首をめぐらした。
その時カサリと落ち葉を踏む音と共に思わぬ人物の姿が視界に入った。
「ん…、神子殿?」
「あ、泰衡さん。こんにちは」
白龍の神子である少女が彼を見上げて微笑んでいる。
「このような所でお目にかかるとは思わなかった。
よもや神子殿も戦の備えを確かめに来られた、ということもあるまい。
――八葉はどうした?」
一応帯刀はしているようだが、見たところ彼女を守るべき八葉の姿は周囲には見当たらない。
「今日はお天気も良かったし、近所をお散歩…と思って一人で出てきたんですけど…ちょっと遠くまで来すぎちゃいました」
「一人で散歩か…。 フン、お一人で出歩くとは己が腕に随分と自信がおありのようだ」
『随分と』のところに力を込め、嘲るように告げるが、少女は悪びれたふうもなく軽く肩を竦めると、やっぱり怒られちゃった、と屈託の無い表情(かお)で笑う。
泰衡は溜め息をつくと馬を降り、手近の木に繋いだ。
「川の向こうに高館が見えるだろう? ここは束稲山の麓だ。
こんな秋の日暮れに出歩いても何の意味もあるまい」
「……?」
「気づかなかったか? この山を覆う木々は全て山桜だ」
泰衡の言葉に少女は傍らの木を見上げた。
「そう言われてみれば…確かに桜の木ですね、これ。あ、これも。あっちの木も。すごーい、本当に全部桜だらけ!
…一体何本くらいあるんだろう…」
「一万本だ」
おそらく最後の言葉は独り言のようなもので、答えが返ってくるとは思っていなかったのだろう。
はしゃいでいた少女は驚いた顔をして彼を振り返った。
「そうなんですか! まさか泰衡さん、これ全部数えたんですか…?」
「フッ、まさか。この山の桜は全て人の手で植えられたもの。自然に生えていたわけではない。
元々は我ら藤原氏より以前この奥州の衣川より北、奥六郡を治めていた安倍氏の頼良殿…後に頼時殿と名を改められたが、その方が植えられたもの。 それを引き継いだのは今は金色堂に眠る代々の御館たち。
束稲山が今のような姿に完成されたのは父上の代になってからのことだ」
目を丸くしながら、彼の話に耳を傾けていた神子が不意にふわりと微笑んだ。
「春になったら、山一面が桜に覆われて綺麗なんだろうな…」
既にその情景を思い描いてでもいるのか少女の目はうっとりと遠くを見ている。
「『聞きもせず 束稲山のさくら花 吉野のほかに かかるべしとは』 か…」
「……?」
「かの西行殿が先年平泉を訪れたさいに、この束稲山の桜の美しさに感嘆し、吉野の千本桜に比して詠まれた歌だ。
西行殿は京では名の知れた歌詠み。神子殿は京におられたことがあるのだったな。西行殿の名はご存知か?」
「あ、京でじゃないけど、名前は聞いたことあります。本当に名前ぐらいですけど…。
その西行さんは京から、こんな遠くまで歌を詠む為に来られたんですか?」
「西行殿は秀郷将軍の五男、千常殿の九代目。そして父上は嫡男、千時殿の十代目。
西行殿は我が奥州藤原氏の親戚筋にあたられる。その縁(えにし)で何度か父上を訪ねて来られたのだ」
「え、じゃあ十一代目の泰衡さんとも親戚ってことですよね?」
「遠いが、まあ、そういうことになるだろうな」
「へぇ〜、そうだったんだ。それにしても、吉野を凌ぐほどの桜って凄いですね。
私、京にいたことがあるっていっても、仁和寺と神泉苑と嵐山の桜は見たことがあるけど、吉野はないんですよ。
でも、吉野の桜も凄く有名ですよね。千本でも凄いのに、一万本の桜が一斉に咲いたら、見事な光景でしょうねー」
うっとりと神子が言う。
「ああ。山ばかりでなく麓を流れる北上川も、舞い散る桜の花びらで薄紅色に染まる。
あの川も、桜の時期ばかりは櫻川と名を変える」
彼の言葉に暫し黙したまま川を凝っと眺めていた少女が唐突に振り返った。
「私、春になったら、泰衡さんと、この桜を見に来たいな。ダメですか?」
小首を傾げた少女が長い髪を揺らしながら、彼の顔を覗き込むようにして微笑みかける。
想定外の言葉に泰衡は切れの長い瞳を見開いて、口を開けた。
話の流れから、彼女が花見に行きたいと言い出すのはわからんでもない。
しかし、その相手が一体どうして自分なのだ。
そもそも自分が桜の話をしたのは、だからこんな秋の日暮れにここに来ても、見るべきものはないと、言外に早く帰れと含ませたつもりでいたのだが…。
泰衡は口端を吊り上げると、皮肉な笑みを浮かべた。
「まだ冬も来ぬうちに、お気の早いことだ。これから鎌倉との戦だというのに。――常勝の神子殿の余裕と考えるべきかな。
―――生憎俺はそんな先の夢物語に付き合うほど暇ではない。供が必要と言うなら、銀にでも命じられてはいかがかな?」
突き放したような彼の物言いに、少女の瞳が悲しげに瞬いた。
「お供だなんて…私、そんなつもりじゃ…」
それに、と神子はキッと顔を上げて泰衡を見据える。
「私は銀じゃなくて泰衡さんと一緒にこの桜を見たいんです。……私とじゃ嫌ですか…?」
ひたむきな瞳が凝っと泰衡を見つめている。大きな翠玉を思わせる瞳に、吸い込まれそうだ、と、ふとそんな埒もない考えが頭をよぎり、 それを振り払うように彼は苛立たしげな声を出し、腕を組んだ。
「だから俺は暇がないと言っている。神子殿が嫌とかそういう問題ではない」
不機嫌に言い捨てる。だが、その言葉に少女はぱぁっと顔を輝かせた。
「良かったぁ。じゃあ、もし、時間が出来たら、一緒に行ってくれます?」
(…何故そうなるんだ…)
泰衡は溜め息をつくと腕組みしたまま目を閉じ、暫し思考を巡らすが、その間も少女の視線は痛いほど感じていた。
数瞬の後。軽く目を開き、ちらりと神子の様子を伺うと、少女は期待に満ちた眼差しでわくわくと彼を見上げていた。
そのさまに『待て』をしている時の金(くがね)の姿が重なり、おかしくなる。
もし、彼女に尻尾が付いていたとしたら、おそらく今は千切れんばかりに振られていただろう。
(どうも、神子殿といると埒もない事ばかり浮かんできていかんな)
泰衡は綻びそうな口許を引き締めると、腕を解き、神子の方に向き直った。
瞬間少女の表情がぱっと真顔になり、彼が口を開くのを息をつめて見つめている。
今日何度目かの溜め息をつくと、泰衡はゆっくりと口を開いた。
「―――俺をそこまで誘うとは、神子殿も変わった方だ。……わかった」
再び少女の顔が輝くような笑顔になる。
「そう、だな…、この桜が咲く頃に…もし、戦が終わっていたなら…」
全くよくもまあ、これだけコロコロ表情が変わることだと半ば呆れ、半ば楽しみながら、その様子を眺め、ゆっくりと言葉を紡いでいた泰衡は、少女の表情が三度(みたび)変化したことに気づく。
「ん…、どうした? 急に赤い顔をされて…」
「だ、だって…泰衡さんのそんな優しい声初めて聞いたから…。
笑い方もいつもと全然違って優しげだし…」
「笑っていただと…? 俺が? 今?」
その言葉に真っ赤な顔をした神子がコクリと頷く。
「何か眉間に皺がないと別人みたいで…私……」
「ほう?」
憮然とした泰衡の様子に神子が慌てる。
「ち、違います! 私、褒め言葉で言ったんですよ!」
何が違うと言うのか。
「あー、また眉間に皺がくっきりと…」
残念そうに神子が呟く。
「フン、俺の皺のことなどあなたには関係ないだろう」
「それはそうかもしれないですけど…。あ、それはそうとお花見!
了承してくれてありがとうございました。嬉しいです」
「あくまで桜が咲くまでに、もし、戦が終わっていたら、の話だ」
わかってますよ、と言って、神子はふふ、と笑った。
「じゃあ、約束の指きり」
少女が小指だけ立てた手を出す。
「指きり…?」
「あれ、この世界ではやらないのかな…? 約束の成立を誓うおまじないみたいなものなんですけど…」
「神子殿の世界の呪(まじな)い…」
呪いという言葉に呪術に造詣が深い泰衡がピクリと反応したのを見て、神子が笑いながら説明する。
「大丈夫ですよ。おまじないって言っても、そんな本格的なのじゃなくて子供の遊びみたいなものですから。
右手を出してもらっていいですか?」
異世界の呪いに軽い興味を覚えた泰衡は薄紫の手甲に包まれた右手を差し出した。
泰衡の小指にするりと、少女の白い小指が絡められる。
「ふふ。ゆーびきりげーんまん…♪」
嬉しそうに戯れ歌を歌う少女の笑顔は酷くあどけない。
その笑顔と絡められた小指から伝わる熱に妙な胸苦しさを覚えて、泰衡は少女から目を逸らした。
夕日が西の山の端に沈んでいこうとしている。二人の影が長く伸びている。
「…そろそろ日が暮れるな」
泰衡の言葉に少女がハッとなる。
「いっけない。急いで帰らなくちゃ…! それじゃ泰衡さん、今日はありがとうございました」
ニコリと笑顔を見せて、一礼すると神子はすたすたと歩き出した。
一瞬呆気にとられてその後姿を見ていた泰衡は次の瞬間慌てて馬に飛び乗ると少女の後を追った。
「神子殿! 待たれよ」
「はい?」
立ち止まり、振り返った神子の隣に馬を並べると、泰衡は苦虫を噛み潰したような顔で、馬上から無言で手を差し伸べた。
最初きょとんと彼を見上げていた少女の表情が見るまに嬉しそうな笑顔になる。
「もしかして、送ってくれるんですか?」
「いかに健脚の神子殿といえど、今から家路につかれては日の落ちるまでに高館に戻ることかなわぬだろう。
それに、結果としてだが、こんな刻限まで引き留めた俺にも責めがある。
あの時、神子殿は帰られるところだったのだろう?」
「帰るところだったのはその通りですけど、私、引き留められたなんて、別に思ってませんよ。
だって、私が泰衡さんとお話しするのが楽しくて、自分の意思でここにいただけなんですから」
瞬間泰衡は己が耳を疑った。きっと自分は何か聞き違いをしているに違いない。
信じられぬものを見る思いで、瞠目し、少女の顔を凝視する。
「…………俺と話すのが楽しい…? そんなことを言う奴はそうそうおらんぞ」
「そうですか。でも、私は泰衡さんとお話しするの好きですよ」
そう言ってにっこり笑うと少女は固まったままの泰衡の手を取り、馬上の人となったのだった。
「…やはりあなたは変わった方だ…」
泰衡の呟きに、少女の小さなクスクス笑いが答えた。
「今日は本当にありがとうございました。送っていただいて助かりました」
高館の門前で礼を言う少女に泰衡は常の如く仏頂面で答える。
「馬ならばこの程度の距離たいした回り道ではない」
「でも、助かったのは事実ですから、やっぱりお礼は言いたいです。
ふふ、それじゃ、お花見デートの約束、楽しみにしてますね」
(「でーと」?)
泰衡がその耳慣れぬ言葉の意味を問う前に、少女はポッと顔を赤らめると、じゃ、また、とぺこりと頭を下げ、足早に門内に姿を消した。
取り残された泰衡は、よくわからないが、前後の流れからおそらく「遊山」や「遊興」と言った類(たぐい)の意味の言葉だろうと見当をつける。
それが、「遊山」でも、「遊興」でもなく、「男女の逢瀬」を意味する言葉だと知り、彼が絶句することになるのはもう少し後の話である。
「指きり」とは江戸時代郭(くるわ)の中の遊女が本気で惚れた客に変わらぬ愛情の証として小指を切断したことが始まりとされています。
それが後に一般に広まり、約束を必ず守るという意味に変化したそうで。
なので平安末期の人な泰衡さんは知らなかったってことで(笑)。
そんなプチトリビアはさておき(笑)遂に泰衡マキシ発売ですよ、奥さん(誰?/笑)
もー、ライブ会場でゲットして以来聴きまくってます。
切なくて泣ける新曲もいいけど、語りも萌えまくりです♪
嫌味言いつつも、最後には花見の約束をOKする泰衡さんと泰衡さんお得意の皮肉攻撃にもめげずにどこまでも押していく望美ちゃんに萌えv
「ふぅ(溜め息)…俺をそこまで誘うとは神子殿も変わった方だ…」
この時の雄弁な溜め息も良ければ、泰衡の言い方が溜め息つきつつも、ちょっと楽しんでる感じなのが凄く好きv
そして
「…わかった。そうだな…、この桜が咲く頃に…もし、戦が終わっていたなら…」
この「そうだな…」の言い方もね、ちょっと息が抜ける感じで優しくて、口許に軽く笑みを浮かべながら喋ってる泰衡が浮かびます。
もうもうCD買われた神子様は是非ここ注意して聞いてみてください!
何か満更でもなさそうに「やれやれ、しょうがないな」って笑いながら喋ってる感じ。
鳥海さん、ここの演技絶妙! 毎回この「そうだな…」のところで転げ回ってますよ私v(笑)
何だこの耳から注ぎ込まれる媚薬は!?vvv
ずっと慇懃無礼に喋ってたのが最後「わかった」でちょっときっぱりした口調になり、次の「そうだな…」以降ふっと優しくなるのが激萌えですvv
甘過ぎないのがまた泰衡らしい。
ツンツンしつつも、結局泰衡が折れてる2人の関係にニヤニヤしてしまいますv
とにかくこのCD泰衡さんファンなら買って損はないと思います!(回し者?/笑)