望美が部屋へ入ると、男は彼女が最後に見た時と寸分違(たが)わぬ体勢で文机に向かっていた。
「泰衡さん!」
泰衡は顔を上げ、彼女の姿を認めると慇懃な笑みを浮かべた。
手にしていた筆を置き、ゆっくりと望美の方へ向き直る。
「これはこれは、尊き白龍の神子殿にお渡りいただけますとは恐悦至極。
して、気高き神子殿が、馬鹿で、陰険で、悪人面の男にどのような御用がお有りでしょうかな?」
(うわ、根に持ってる…)
ここはもう謝り倒すしかない。
「あー、もう、ごめんなさい! 私が悪かったです。ごめん、謝るから」
だから機嫌直して〜、と膝をつき、彼の腕に取り縋る。
男は彼女をジロリと見下ろし、フンと鼻を鳴らしたが、振り払いはしなかった。
振り払われなかったことで、どうやら彼が自分を許してくれようとしていると空気を読み取った望美は慌てて言葉を継ぐ。
「あ、削り氷(けずりひ)ありがとうございました。美味しかったです」
にっこりと、とびきりの笑顔で笑いかける。
「フン、いつまでも暑苦しい顔で傍にいられても、迷惑だからな」
思わずムッとしかけたが、ここで言い返したら元の木阿弥である。
うー、我慢我慢、と心中呪文のように呟きながら、ひきつり笑顔を浮かべる望美を見て、泰衡は堪えきれぬようにくくっと喉を鳴らした。
「まるで百面相だな。それにしても」
泰衡の手がそっと望美の頬に触れ、すぐに離れていく。
「随分と涼やかな御顔になって戻られた」
そう言って一瞬だけふわりと優しげな笑みを浮かべた。
その笑みは望美の鼓動を跳ね上げると同時に、彼が口で言うほど怒ってはいなかったことを彼女に伝える。
お、お陰様で…とか何とか口の中でもごもご言うと、望美は赤くなった顔を僅かに逸らし、話題を変えた。
「と、ところで、泰衡さんてずっとあのままお仕事してたんですか?」
「そうだが?」
何故そんな当たり前のことを訊くのか意味がわからない、とでも言うように、訝しげな顔で即答される。
(やっぱり)
「あの…さっきの削り氷、もう少しいただいてもいいですか?」
「あれでは足りなかったか? …まぁ、別にかまわんが。腹を壊さん程度に好きなだけ召し上がるといい」
「ありがとうございます!」
顔を綻ばせて礼を言う。
この人のこういう育ちの良さからくる気前の良さは美点の一つだなぁ、と望美は思う。
「では女房を呼んで…、いや、あなたが直接台盤所まで出向いて申し付けた方がいいか。
そろそろ奥向きの采配に慣れていただく必要がある」
「? どうしてですか?」
「ゆくゆくは伽羅御所は勿論、大きな儀式などの折りにはこの柳ノ御所でも、あなたが奥を束ねていくのだろう。
――北の方として」
(あ…!)
「そ、そそそうですよね。じゃ、ちょっと行ってきます」
『北の方』と言う言葉に、嬉しいような恥ずかしいようなくすぐったい気持ちを覚え、頬が緩む。
望美は緩む頬を両手で押さえつつ、小走りに部屋を後にした。
「…神子殿、これは一体何の真似だ?」
神子様にそんなことをさせるわけにはまいりません、と言う女房の言を押し切り、自分で高杯を運んできた望美がそれを泰衡の前に置くと、彼は眉根を寄せ、そう問うた。
高杯の上には先ほどと同じように削り氷の乗った銀の鋺(かなまり)が置かれている。
「何のって…これは泰衡さんの分です」
にこりと笑んで言うと、彼の眉間の皺が深くなる。
「あなたのではなかったのか…」
「私が食べるなんて一言も言ってませんよ」
「それはそうだが…」
「私はもう、充分涼みましたから。ふふ、泰衡さんも少しは休憩して涼まなくちゃ」
「俺は別に…」
なんなら、と望美は彼の方にすすす、と膝を進めてにじり寄った。
そして置かれていた銀の匙に手を伸ばす。
「私が食べさせてあ」
「頂こうか」
望美が触れるより先に泰衡の手が素早く匙を掴んだ。
そのまま今まで、俺は別に、とか何とか言ってたのが嘘のように躊躇なく自ら食べ始める。
(早っ! とゆーかそんなに私に食べさせられるのが嫌かーーー!!!)
望美が怒りに震えていると、泰衡がちらりと望美の方へ視線を向けた。
「何を怒っている? 俺は食えというあなたの御意向に沿ったまでだが?」
「別に。ただちょっっっと傷ついただけです」
望美がむすっとそう言うと彼の眉が上がり、ほう、と一言呟くと、カチャンと音を立てて匙が置かれる。
「神子殿のこの上なく繊細な御心を傷つけてしまったのなら、まことに申し訳ない。
ご容赦いただければ幸いだが」
そうして彼はあのいつもの人を馬鹿にしたような笑みを浮かべると、優雅に、完璧な所作でうやうやしく頭を下げて見せた。
「っ!」
(腹立つ〜〜〜!)
その完璧に小馬鹿にした態度に望美の怒りが増幅される。
まったく謝罪の言葉で、これだけ相手の怒りを誘発することが出来るなんて、ある意味特技と言ってもいいかもしれない。
「余計腹立つから、謝んなくてもいいです! さっさと食べちゃってくださいよ、もう!」
では、と薄く笑い、睨む望美の視線を物ともせずに、泰衡は涼しい顔で黙々と匙を口に運んでいる。
どうにもこのままでは腹の虫がおさまらない。
何とか一矢報いてやる方法はないものかとあれこれ考えながら、食べ終わり、落ち着き払って匙を置いた彼の顔を見つめていた望美はその時あることに気がついた。
「やっすひらさん」
今まで膨れていた望美の打って変わって弾んだ声に、泰衡はあからさまに不審そうな表情を浮かべ、振り向く。
「甘葛ついてますよ」
言うやいなや素早く顔を近づけると、望美は男の薄い口の端をペロリと舐め上げた。
「―――!?」
男がギョッとしたように切れの長い瞳を見開くのを見て、望美は心の中でやったぁ!と叫んだ。
目を見開くと三白眼が益々目立つ。滅多に見られないが、もし、音を付けるとすれば「あっ」でもなく、「ええっ」でもなく、絶対「ギョッ」だと望美は勝手に確信しているのだが、泰衡のこの驚く表情を彼女は結構気に入っていた。
最初男は、くすくすと笑い転げる望美を憮然とした表情で睨んでいたが、すぐに、にやりと剣呑な笑みを浮かべた。
すっと伸びてきた手が望美の頤を捕らえる。
ずい、と瞳を覗き込むように端整な顔を近づけられ、望美は焦った。
(や、やばい…)
すぐに距離を取らなかった自分の迂闊さを悔いたが、もう遅い。
この人がやられっ放しでいるわけがなかった。
「――望美」
「は、はい…」
泰衡は、動揺しおろおろと視線を彷徨わせる望美の表情をじっくりと眺めると、明らかに楽しんでいる様子で口端を上げた。
「俺をからかうとはいい度胸だ」
「か、からかうなんて…そんな…」
あはは、と望美の乾いた笑い声が響く。
「やだなあ、私がそんなことするわけ…」
「言い訳はきかん」
「や、やすひ…、んっ!? ん――――っ…」
望美の必死のフォローはむなしく、仕返しと言わんばかりにやや乱暴に、噛みつくように唇を塞がれ、打ち切られた。
絡められた舌はいつもよりも冷たくて、甘い―――
「遅くなりまして申し訳ございません。只今戻りま……」
途中同僚の武士に呼び止められ、些か時間を食ってしまい、足早に泰衡の執務室に戻ってきた銀は存分に涼んで元気いっぱいに戻られたはずの神子様が、頬を赤く上気させて、ぐったりと脇息にもたれかかってるさまを見て、首を傾げた。
「みこ…さま…?」
「あ、銀…丁度いいところに…」
彼の言葉にゆるゆると顔を上げた少女は、大きな瞳を潤ませて熱に浮かされたような表情をしている。
「…銀……削り氷のおかわり、お願い…」
声までもが何だかふわふわと頼りない。
「はあ…」
「銀、神子殿は更なる氷をご所望だそうだ」
どこか機嫌良さげな声で主に重ねて命じられ、銀は慌てて一礼すると立ち上がった。
首をひねりながら、足早に簀子に向かっていた銀は、微かに聞こえてきた潜めた少女の呟きに足を止め、耳を澄ませた。
「せっかく涼んできたのに、もう…。泰衡さんのばか…」
甘くなじるその声に銀は一つ頷くとクスリと小さな笑みを零す。
「相変わらずお仲のよろしいことで…」
うんうんと一人納得して頷きながら歩く銀の顔には、暫くの間零れるような微笑が浮かんでいた。
泰衡さんの驚き顔立ち絵がとても好きですv面白くて(笑)いや、彼の立ち絵は全部好きですが、特にv
それはさておき。
…おかしい。私は泰衡と望美ちゃんが仲良くかき氷を食べてるところが書きたかっただけなのに
どうしてこんなに長く…。しかも一緒に食べてないし…。望美ちゃん、かき氷、銀と食ってるよ。
てか最後は望美ちゃんが食われてるしv(笑)