小さな逃亡者

「今度はしっかりと捕まえておくのだな」

 感情のこもらぬ声で告げると、男は素っ気無く踵を返した。

「あ・・・」

 行ってしまう、そう思った瞬間、不意にあることを思い出した。
 反射的にパッと手を伸ばす。
 あかねの手に袂を掴まれたアクラムが訝しげに振り返る。

「----何か?」

 抑揚の無い声は酷く冷たい。

「あ、あのね・・・」

 その声音と仮面の下からねめつける視線の冷ややかさに怯みそうになりながら、 声を絞り出す。
 これだけは訊いておかなければ・・・。

「・・・あ、あのねアクラム」

 小さく息を吸い込んで。

「----ここ・・・どこ?」

「は?」

 気の抜けた声と共に薄い唇に苦笑が刻まれる。

「・・・お前は自らここに来たのであろう?」

「だって・・・夢中でこの子のこと追いかけてたから、あんまり周り見る余裕がなくって・・・。
それにいくつも角曲がったし・・・・・・」

「----それで? お前は、この私に供をして、送り届けろとでも 言うつもりか?」

 冷ややかさの消えた声は、今度は莫迦にしているような 楽しんでいるような響きを滲ませる。

「そ、そこまでは・・・。ただ、ここが京のどこら辺かだけ教えてもらえれば、後は自分で帰れると、
お、思うし・・・」

「私は、そうは思わぬな」

 一言の元にキッパリ否定され、実は自分でもあまり自信のなかったあかねはウッと詰まり、
うめいた。




 そ、そんなにはっきり言わなくてもいいじゃないのよ〜!




 アクラムは、そんなあかねを見てクスリと笑うとおもむろに手招いた。
  緋の袖が舞うようにフワリと典雅に翻り、束の間その動きに目を奪われる。

「まあ、よい。では、こちらへ」

「え!? 送ってくれるの?」

 ラッキー♪、と勢い良くピョンと立ち上がり、子猫をしっかりと胸に抱き締めて、
すらりとした長身に寄り添うと、子猫ごと力強い腕に抱き込まれる。
 衣に焚き染めた豪奢な彼の薫りに包まれて。
 ドキンと心臓が跳ね上がった。
 頬が熱くなるのを止められない。
 赤くなっている顔を見られたくなくて、俯いてひたすら、眼前の装束の柄を睨んでいると、
笑みを含んだ声が耳元で意味ありげに囁く。

「行き先が土御門だとよいのだがな」




 ・・・・・・!?  な、何それ? どーいうことぉ!?




 ガバッと顔を上げ、あかねが問い質そうとしたその時、視界が暗転し、 周囲の風景が掻き消えた。







「いつまでそのようにしているつもりだ?」

 からかうような声にハッと目を見開く。
 何度経験しても、“跳ぶ”感覚には慣れなくて。
 固く瞑ってしまった瞼を開き、慌てて周囲を見渡すと、そこは見慣れた 藤姫の館の庭園だった。
 ホッと安心すると同時にいつのまにかとうに背中に回っていたアクラムの腕は消えているのに、
自分だけがいつまでもギュッと衣を握り締めてしがみついているのに気が付いて、
あかねは頬を染め、慌てて身体を離した。

「ちゃんと送ってくれたんだぁ。あの・・・ありがとね」

 ドギマギする気持ちを抑えながら、何とか平静を装ってそう言うと、アクラムは口端をつり上げて、
意地の悪い笑みを浮かべる。

「『ちゃんと』じゃない方がよくば、今からでも遅くはないが?」

「え、遠慮しときます!」

 咄嗟にそう叫んだあかねに彼は又もや笑い出す。
 それを軽く一睨みして。

「あんまり長居してると警護の人に見つかっちゃうから、そろそろ行くね。 どうもありがとう」

 気を取り直して、ニコッと微笑むと黙って頷く彼に背を向けて、館の方へ歩み出す。
 だが、2、3歩歩いたところで、不意に手首を掴まれた。

「----キャッ!」

 そのまま斜め上方に強い力で腕を引かれ、少女の軽い身体はクルリと反転し、
爪先立ちに引き上げられる。

「何を・・・・・・っ!?」

 何をするの、と言いかけたあかねの口を冷たい唇が塞いだ。

「・・・・・・んっ・・・」

 触れた瞬間冷たいと感じた唇は不思議な熱をあかねの内に生じさせる。
 身内を巡る熱の初めて体験する熱さに翻弄され、戸惑い、わななきながら。
 蹂躙する舌に、抗う意思を、力を奪われ、意識を流される。
 あかねの眦に涙が滲んだ。
 やがて。
 だらりと下がった手から、引き寄せられ、つんのめりそうになった時も、しっかりと掴んでいた
子猫の体が柔らかい草の上にぽとりと落ちた。







 口付けは、始まった時と同じ唐突さで終り、解放された。
 力の抜けた膝は身体を支えることを放棄して、そのままぺたんと地面に座り込む。
 彼の行動の意図が、何故か抵抗出来なかった自分自身が 分からなくて。
 混乱する頭で、荒い呼吸を繰り返しながら、言葉も出ずにただ目の前の男を
凝視しているあかねの耳に落ち着き払ったアクラムの声が響く。

「送料を払って頂いたぞ」

「なっ・・・・・・」




 何よ、それーーーーー!!!




 かぁっと頭に血が上った。
 からかわれた。そう思ったのだ。

「そ、そんなこと言わなかったじゃない!」

 思わずムッとして抗議してみても

「だが、代償を求めぬとも言っていない」

 屁理屈でこの男に適うわけがない。




 う〜〜。




 ふるふると怒りに肩を震わせて、真っ赤な顔をして唸っているあかねの顔を
面白そうに見遣るとアクラムはくつくつと笑った。

「気に入らぬか。これでも、まけてやったつもりなのだがな」

「りゅ、龍神の神子の唇は高いんだからぁ!!」

 反射的に叫び返した自分の言葉に一層赤くなったあかねを、ほう、というように
口元を歪めて見下ろす。

「では・・・。いや」

 微かに首を振り、薄く笑む。
 そして。

「----覚えておこう」

 次は何を言われるのかと身構えるあかねに、あっさりと告げると、今度こそアクラムは
その姿を消した。
 その言葉に何がしかの含みが感じられたようなのはあかねの気のせいだろうか。
 それに・・・。




 で、ではって何よ? 「では」ってぇ・・・??




 アクラムが言いたいことだけ言って去ってしまうのは、何も今日に限ったことではないのだが・・・。
 それにしても、今日は振り回されっぱなしだ。

「な、何よ・・・もぉ・・・勝手なんだから・・・」

 力無く呟いて。
 そっと指先で唇に触れる。
 まだ熱の残る身体を自分の両腕で抱き締める。
 覚えず熱い吐息が零れた。

「・・・・・アクラムの・・・莫迦・・・」

 言葉とは裏腹に。
 その声音は限りなく甘い。






 ちりんと鈴の音がした。
 あかねが慌てて頭を巡らすのと、茂みの向うから少女の呟きが 聞こえてきたのはほぼ同時。

「・・・本当にこちらにいてくださればよろしいのだけれど・・・」

「藤姫ちゃん・・・?」

 そっと呼びかけると、たちまち反応があった。

「まあ、神子様! そちらにいらっしゃるのですね!?」

「うん。でも、藤姫ちゃんこそ、どうしてここに?」

 茂みの向うに声をかけながら、あかねは首を傾げた。
 先日彼女が庭に連れ出して以来、時折外に出るようになった藤姫だが、
それでもこうして一人でなのは珍しい。

「あの、神子様がお庭に出られたまま、中々お戻りにならないと伺って、わたくしも少し
お庭に出てみましたの。
そうしたら、この子がこちらの方角から来たので、もしや、と考えまして・・・」

 段々と声が近付いてきて。
 茂みの角を回って子猫を抱いた少女が姿を現した。
 子猫が無事に少女の手に戻ったのを確認し、ホッとしたあかねだったが、話し掛けようとしたその時
藤姫がハッとしたように立ち止まったので、 言葉を止めた。

「神子様!そのようなところでお座りになって、どうされたのですか? 御身体の調子でも・・・」

 不安そうにあかねに駆け寄る。

「え?えっと、あのう・・・」

「まあ、お顔の色が真っ赤ですわ。まさかお熱でも・・・!?」

 さっと少女の顔色が変わった。

「少しお待ちくださいましね。すぐにお部屋の方にお移し致しますから。 頼久!頼久〜!!」

「ち、違うんだって・・・。・・・・・・あ、行っちゃった」

 もごもごと弁解しかけたあかねの声はまるで届いていないようで。
 背丈よりも長く伸びた黒髪の裾が宙に浮く程の勢いで、血相を変えて走り去っていく藤姫の後姿を
あかねは唖然として見送る。
 追い掛けて誤解を解きたいが、まだ腰が立たないし・・・。

「困っちゃった。何て言い訳しよう・・・?」

 藤姫に心配はかけたくなかったが、まさか本当の事を言うわけにもいかない。
 あかねは大きな溜め息をついて天を仰いだ。

 

 

 


■作者後書き■

書きたかったのは、『お館様と猫』でございます(笑/あれ? あかねちゃんは?)
悪人と猫って似合うよね〜、という澤井の勝手なイメージで、昔の洋画とかでよくマフィアの
ボスが膝に乗せた黒猫を撫でてるようなのをイメージして書き始めたのですが、
書き上がってみると全然違うものに・・・(笑)

作中に出てくる『猫を寵愛した帝』とは一条天皇です。なので、まさに遙か1の世界の
時の帝なのですが、彼が飼っていた年代までは確認を取れませんでした。
だから、話の流れ上、アクラム様には過去形として語って頂きましたが、もしかすると
あのエピソードはあかねちゃん達が現代に帰った後って可能性も・・・(^_^;)


さて、お館様はあんな所で何をしてたのでしょう?
遙か2で散歩が趣味だと発覚した彼なので(笑)、多分散策でもしてたんじゃないかと・・・。
んで、人目につかない所で休んでいたら、猫が迷い込んで来たので、京人にばけた
セフルにでも、どこぞの貴族の屋敷に持ち込ませて、活動資金(笑)の
足しにでもするか、と考えてたとこであかねちゃんが来ちゃったと・・・(笑)

 


転載してくださる方は出来れば、上の後書きまで入れてくださるようお願い致します。















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