◆挿話四◆
「いよいよ、明日が最後の日か・・・。
この京に来ていろんなことがあったけど、もうそれも最後。
明日、神泉苑で何もかも決まるんだな・・・」


いよいよ最終決戦を明日にひかえた夜、
藤姫を始め、八葉達はすでに寝静まっていた。
しかし、あかねだけは、どうも目が冴えてなかなか寝付けず、
気分転換にと、中庭に出てみた。

その夜は昼間降り続いた雨も一旦あがり、
夜空にはうっすらと三日月に雲がかかっていた。
すでに夕の刻も深く過ぎ、辺りに人の気配はまったくなく、
時折、虫の音が、その存在をあかねに気付かせるくらいだった。


「アクラムがセフルを冷たく突き放したのは、
一族にしばられない自由な人生を新たな土地で過ごさせてあげたいって思っていたんだろうな。
イクティダールさんにもいらないってどっかに行かせたのだって、
ほんとは彼をイノリくんのお姉さんの元に行かせてあげたかかったのかもしれないし、
シリンに対してだって想いに答えられなかったから・・・想いに縛られないように。
今になって全てわかったような気がする。」



いつのまにか、あかねの頬には一筋の涙がこぼれ落ちていた。



「本当に力で京を支配するつもりならあの人たちのことを離さないはずだよ。
だって、数少ない一族なんだから。
仲間だから一緒にいる・・・私の考えってほんと馬鹿だ。
アクラムの言うとおり『私の考えた幸せ』ってその程度だったんだ・・・。
仲間だからこそ解放する。みんなの幸せを考えて、自由にしてあげたんだ・・・。
一人になるって何よりもつらいのに・・・。」

次々に溢れる涙を抑えるために
ただ上を仰ぐしかどうしようもなく、
大きな眼に溜まりゆく涙は薄く雲に覆われた三日月をますますにじませていた。



(・・・なんて不器用な『人』なんだろう・・・。)



一度堰を切った涙は止めどもなく流れ、
あかねはその場にしゃがみこむと、声を殺し泣き続けた。
京に来てこれまで起こった出来事を一つずつ思いだし、
そして思い出してはまた涙がこぼれた。



「・・・ひっぅく・・・こんなんじゃだめだよ。
こんな気持ちのままじゃ闘えないよ・・・。」



藤姫の期待、八葉の信頼、京の民の願い、
そして龍神の神子としての責任。

周囲からの思いに答えるため、
これまで精一杯、皆には弱音は見せまいと気丈にも頑張ってきた緊張の糸が
ぷつん・・と切れてしまったかのようだった。

空にかかる雲の流れは速く、
厚い雲は先ほどまで姿を見せていた三日月を瞬く間に覆い被さり、
辺りを一面闇に包み込んだ。
そして、再び雲が切れた瞬間、
雲間から微かに射し込んだ月光が一人の男を映し出していた。薄い金色の髪が淡く輝いていた。





「いよいよ明日だな、神子・・・」

「・・・アクラム・・・」

これまでなら、二人きりで会うときは、
互いに敵同士ながら、どこか逢瀬を楽しむがごとく言葉を投げ合ってきたが、
このときばかりはただ沈黙が二人の間を流れていた。




最初に口を開いたのはあかねのほうだった。

「アクラムはいつも私が悩んでいるときに来てくれるんだね。」

あかねは水干の袖でごしごしと涙をぬぐうと、
きゅっと口を結んだまま口端を上げ、一生懸命の笑顔を作った。





「明日の戦い・・・。怖いか?」

「うん・・・怖いよ。
みんな龍神の神子として、私に期待してるけど、
ほんとは私には何にも力がなくって、弱くって・・・。」

先ほど精一杯作った笑顔は完全に失い、
不安に満ちたその表情はただの16歳の少女のものだった。




「それに、あなたと・・・」

あかねが何か言いかけようとしたとき、
アクラムが言葉を遮った。

「お前はすでに四神を手にいれ、我が力をも凌駕するほどの力を得た。
初めてあの神泉苑で会ったお前は本当にか細く、弱々しい存在でしかなかったが
本当に強くなった・・・。」

アクラムの言葉を聞いたあかねは首を左右に激しく振り、
そしてもう一度水干の袖で顔をこすった。
そんなあかねの様子を見ながら、アクラムは話を少しそらした。




「そういえば以前、この場所で天の青龍がお前に話していたことがあったな。
自分の未熟さゆえに、兄を失ったと。」

あかねはアクラムの話に、
以前この庭で、初めて自分に見せてくれた頼久の表情が思い浮かんだ。

「うん・・・。そんなの頼久さんのせいじゃないのにね。」

「しかしそれが現実だ。」

「そんなっ!」

「かつて、私もそうだった。」

一瞬、声を荒げたあかねに対し、アクラムは声を落としながら話を続けた。



「私がまだ一族の長となる以前。
自身の力を過信し、多くの仲間を失ったことがある。
一族の数は減った。
私は一族を再興せねばならぬ。それが使命なのだ。
ただ一族を増やすだけでは意味がない。
恐怖による支配は、再び争いを起こすのみ。
今の京と何も変わらぬ。
飢えも争いも憎しみもない安定した国家を築くことこそが、
真の一族の復興と言える。
そのためにはこの京を一度破壊し、再生する必要があるのだ。」

アクラムの悲しみと苦しみの表情はたとえ仮面の下に隠れようとも
あかねにはしっかりと伝わった。
「しかしそれには力がいる。
今よりもっと強く大きな力が。
何も犠牲にすることなく力を得ることはできない。」



アクラムは握りしめた右手を胸に当て、
仮面の下に浮かべた表情は
まるで自身への怒りのようでもあった。


「そして、お前の慈悲に満ちた心は再生後の京に必要とされている。
お前の心こそ、民を平和に導く唯一のもの。」

そして、顔をあかねに向け、ふっと微笑みをこぼすと、
両腕であかねを柔らかく包み込んだ。




(今になってようやくわかった。
お前がいままで見せてきた、あの瞳は、
生きとし生ける者全てに向けられる慈愛の意。

その心が京の民、そして我が一族にも注がれれば
そのときこそ、真の目的は達せられよう・・。)





互いにもう何も言えず、
あかねはただ眼をそっと伏せ、アクラムの胸に顔を埋めた。
そして、アクラムはただ大事にあかねを抱きしめた。






(しかし・・・そのとき、私にはその様を見ることは叶わぬであろうが・・・)






『このまま時が止まれば・・・』
そんな二人の想いもむなしく時は無情にも過ぎ去り、
何時しか、あかね達の頭上に再び雨が落ちだしてきた。


アクラムはゆっくりとあかねの両腕を持ち、
いつものように表情を押し殺しながら、まるで何一つ忘れることのないように
じっとあかねの顔を見つめていた。
あかねもまた、雨に濡れることを厭わず、
目の前に確かにいる背の高い男の顔を、何一つ見過ごすことのないように仰ぎ見た。


やがて、アクラムは意を決したかのように、あかねから離れ、

「明日、決着をつけよう。龍神の神子。」

そう告げると、ゆっくりと雨交じりの闇夜に消えていった。



「ねえ!どうして、どうして戦わないといけないの!
どうしてっっ!!
前にあなた言ったよね?
人の幸せはその人にしかわからないって!!
じゃあ、教えてよ!!
あなたの幸せって何なのっ!」









アクラムに向けたあかねの瞳に、初めて悲しみの色が浮かんだ。





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