◆挿話二◆
4枚の札を全て手に入れた翌朝。
あかねは朝早く、誰にも見つからないように藤姫の館を抜け出し、
一人、船岡山へ向かっていた。

この数週間、まったく雨が降らない天気が続いていたせいか、
空気は澄み渡り、
船岡山からは遠く京の町並みを一望することができた。

「以前、天真くんが、ここから京の町を見下ろすのが好きって言ってたよね。
箱庭・・・。ほんと天真くんの言うとおりだなあ。
こうしてみると京って結構小さな町なのに、
私って何にも見えてないのかも・・・。」

あかねは小さくため息をつくと、その場で膝をまげしゃがみこんだ。



この時間、地面に浅く茂る草花には朝露が落ちているころであるが、
よほど空気が乾燥しているせいであろう。
若葉が茂るこの時期にもかかわらず、
あかねが腰を下ろした芝生はまるで秋草のように精気が感じられなかった。
しかし、あかねはそんな足下の様子には気付かず
ただぼんやりと京を見下ろしていた。





すると、その乾燥した芝生を踏みしめ、
口元に笑みを浮かべながら、アクラムが静かに近づいてきた。

「また一人でこのような場所にいるのか・・・。
よほど、我々に捕らわれたいようだな。」

アクラムはあと少しであかねに手が届くような距離を置いて立ち止まり、
膝を抱え、地面に座り込んだあかねを背後から楽しそうに見下ろした。



「え!?アクラム?
貴方こそ、何でこんなところに一人で?」

また突然声をかけられ、驚いたあかねが振り向きざまにそう言うと、
アクラムは笑って答えた。

「以前にも言ったはずだ。お前の事はいつも見ていると。
それより、お前はこんなところで一体何をしているのだ。」

「んー・・。あのね。前に貴方に京のこと色々言われたでしょ?
ちょっと一人になって、ここからゆっくりと京のことを見たいなーと思って。」

「そうか。それで何かわかったか?」

「ううん・・・。」

あかねは、首を横に振ると、再び、京の四方に広がる町並みに目をやり、
膝をもう一度きつく胸に引き寄せた。
「何もわかんない。
こうしてみると京の町並みは綺麗で、楽しそうで、平和そうなんだよね。
でも、ほんとは、みんなそれぞれに苦しんでる。
病気や飢えや、・・・そして争い。」

あかねは少し眉をひそめて、それから、膝に顔を埋めた。

「私は今、京を救おうとしてるけど、
ほんとに私はこの世界のことわかってるのかな?」



閉じられたあかねの目の代わりに
アクラムは京の彼方、遙か遠い空を見ながら、静かに問うた。

「お前のいた世界というのはどうだったのだ?
飢えや争いというのはなかったのか?」

まさかアクラムが自分のいた世界に興味を持つとは
思っていなかったので、あかねは少し驚いた。




一体、何から説明しようか悩んだが、
久々に、元いた世界が話題になったので、少し気分が軽くなり、
かつての生活を思い描きながら
横にいるアクラムに視線を向け、話を始めた。





「うん・・・。外国・・あ、外国っていうのは
日本以外の国なんだけどね、そこにはあったよ。飢えや争い。
でも日本は結構平和だったかな。」

「日本?それは京のことか?」

「えっとね・・・。どう言ったらいいのかな?
日本は、京よりもっと広くて、
外国は海の向こうにあって、もっともっとずっと広いの。
それでずっとずっといっぱいの国があるの。」

それまで京の果てに広がる空を見ていたアクラムが
まるで海の向こうを遠視するかのように更に視線を先に延ばし、
あかねに告げた。

「我が一族は遠い昔、遙か彼方なる土地より海を越え、
この地に渡来してきたと聞く。
我が祖先の故郷は外国というところなのか?」

アクラムの話を聞いたあかねはすっくと立ち上がり、
ぱんぱんっと手でスカートに付いた土埃を払うと、
後ろ手に組み、アクラムの顔をのぞきこんだ。

「たぶん、そうなんじゃないのかな。
アクラムやイクティダールさんたちってみんなそれぞれ外国人っぽい感じだし。
きっと、そうなんだろうね。うん、みんな外人さんなんだよ!」

ぽんっとうれしそうに手を叩くと、
あかねは一人納得したように、何度もうなずいた。

「お前たちの世界の日本というところにはその『外国人』というのはいたのか?」

「うーん。。。うちの近所にはそんなにもいなかったかなー。
あ、でもそうそう!うちの学校の英語の先生が外人さんだったの!
すっごい金髪でかっこいいんだー。もう女子の間で大人気だったんだよー。
えへへ。実は私も結構好きだったんだけどね。
えっとねー、名前は・・・。えっと、名前は・・・。
ええ?あれ?あれ?どうしてだろう?
うそー。あんなあこがれてたのに、名前が出てこないよーー。
私ってなんでそんな大切なこと忘れちゃうの!?
やだ!?信じられないっ!?」

「金髪?」

「あ・・・。うん、そう。金髪に蒼い目。あなたの声によく似てた。
すっごいかっこいい先生だったし、なかなか話かけづらかったけど、
優しい先生だったの。
ほんとクラスの女子のあこがれの的だったんだよ。
それより、うそー、なんで名前出てこないんだろう?」

大きな目を丸くしたかと思えば、細めたり、
頬を染めたかと思えば、眉間にしわを寄せたり、口をすぼめたり・・・
くるくるかわるあかねの表情を楽しみながら、アクラムはじっと話を聞いていた。

その後もあかねの学校や家族の話が続いたが、
アクラムは終始相づちを打つ程度で
ほとんど黙ってあかねの話に耳を傾けていた。




もうかれこれ半刻も経とうとしたとき、
ふとあかねがかなりの高みに登った日の角度に気付いた。

「大変!もうこんな時間!藤姫が心配しちゃう!!」

「お前の話は本当に飽きないな。
このまま連れ去り、お前の世界の話を聞き続けてもよいが、
どうやら八葉の犬どもがお前を探しに来たようだな。
この場は去り、次会うときこそ、
お前を私の元に連れ去ってやるとしよう・・・。」

アクラムに言われ、ふと、後ろを振り返ると、
そこには神子を捜しにきた永泉達がすぐそばまでやってきていた。



「神子殿。こちらにおいででしたか。」

「うん・・・心配かけてごめんね。」




もう一度、横に目をやると、
すでにアクラムの姿はどこにもなかった。





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