昼下がりのハピネス
「で、どこにしようか?」

「…え?」

「やだなあ、聞いてなかったの? 日野ちゃん」

 一拍遅れて返された疑問符に小さく苦笑すると、天羽は隣を歩くどこか上の空な友人の方に顔を向けた。
 だからー、こ・れ、と自分の手にしていたお弁当と午前の調理実習で作った料理の入ったタッパーの包みを軽く持ち上げて香穂子に示す。

「どこで食べようかって」

「あ、そうだったよね。ごめんごめん」

「カフェテリアでもいいけどさ、またすかさず寄って来た土浦くんに、上からダメ出しされるのもちょっとアレだし…。
…やっぱり少し寒いけど、屋上か森の広場へでも行く?」

「うーん…」

 しかし香穂子はどこか煮え切らない。
 それにしても、と天羽は感心したように、香穂子を見つめた。

「あんた、最近料理の腕上げたんじゃない? このところ毎日のお弁当も自分で作ってきてるんだって?」

 天羽が言うと香穂子は少し恥ずかしそうに微笑んだ後、頷いた。

「まあ、お弁当くらいは、ね。この間、丁度月森くんとお昼一緒になったからね、卵焼きあげたら凄く喜んで、お礼だって言ってヴァイオリン弾いてくれたの」

「へぇ〜、すごいじゃん。日野ちゃん、卵料理得意なんだ。じゃあさ、次回の実習の茶巾寿司の薄焼き卵もバッチリだね」

「そ、そうかな…。私、煮物の方が割と上手くいくんだけど…」

「そうなんだ。じゃあ今日の調理実習の肉じゃがも、さぞかし美味しくできたんじゃないの?」

「うん、実はちょっぴり自信作」

 自分で言いますかい!、と天羽が明るく突っ込むと香穂子はエヘヘと照れたように笑う。

「なら、後で日野ちゃんのちょっと味見させてもらっちゃおうかな〜。
――しっかし偉いよねー、あんた。オーケストラのメンバー集めやアンサンブルの練習で、毎日目が回るように忙しいだろうに、その上料理まで…」

「そ、そんなことないよ。ほら、うち学院まで近いから…。朝起きる時間も、家出る時間も、天羽ちゃんより遅くていいからお弁当作る時間くらいあるだけで…」

「私なら余分な時間があったら、その分寝ていたいけどなー。って話してるうちに、いつの間にか エントランス抜けて外、出ちゃったよ。ここまで来たら、もう、森の広場でいいよね?」

 天羽に確認するように問われ、香穂子は足を止め、彼女を見た。
 実は香穂子は先ほどから行きたい所があったのだが、悪気はないが好奇心の強いこの友人の興味を引かぬような上手い言い訳が思い浮かばず、何と言っていいのか迷っていた上に、矢継ぎ早に話す彼女に話のきっかけを掴み損ねていた。

「あ、あのね天羽ちゃん…」

「何よ? 日野ちゃん、どしたのさ?」

「だ、だからその…」

 天羽も足を止めると、口ごもり、うろうろと視線を彷徨わせる香穂子を不思議そうに見つめた。
 香穂子がおずおずと口を開きかけたその時。

「あー!」

 突然天羽が大きな声を出したので、香穂子はビクリと口を噤んだ。
 そっか、うんうん、と天羽はひとり頷くと、にっこり笑って、香穂子の肩をポンと叩いた。

「もー、日野ちゃんってば水くさいなあ。早く行っておいでよ」

「え? ど、どこへ?」

 香穂子の顔がサーッと青ざめる。

(まさかバレた!?)

 彼女の前ではあやしまれるような言動は一切取ってないつもりではあったけれど。
 しかしこの友人は異常に勘が鋭く、特ダネのにおいには鼻がきく。

「どこへって?」

天羽がクスリと笑う。

「あまり我慢してると体に悪いよ」

「我慢って…。そこまで思いつめてるわけじゃないよ、私…」

 確かにこのところ気づけば毎日あの人のことを考えているけれど…。

「でも、森の広場にはないし」

「確かにあそこでしょっちゅう猫と遊んでる金澤先生と違って、森の広場ではあまり姿を見かけた覚えはないけど…」

「ん? 日野ちゃん、一体何の話してるのさ?」

「え?」

「だから、森の広場にはないんだから、先に行っておいでよ。ここで待っててあげるからさ。――トイレ」

「は?」










「あー、もー、天羽ちゃんにバレたかと思ってひやひやしちゃったよ…」

 天羽の勘違いのお陰で何とか彼女と離れることに成功した香穂子は、今は特別教室棟の廊下を理事長室に向かって足早に歩いていた。
 普段なら、理事長室行きなど、天羽に何か聞かれても、音楽祭の打ち合わせとでも言っておけばいいことだが、昼休み、お昼も食べずに、それも調理実習の品を持ってでは、天羽に絶対何か勘ぐられるに決まっている。

 理事長室のドアをノックし、失礼します、と声をかけ、扉を開く。
 多忙で毎日学院に来ているわけではない吉羅だが、今日はいるはずの曜日である。
 だが、室内に彼の姿はなかった。












「遅いな〜。後10分でお昼休み終わっちゃうよ…」

 一人がけのソファにちょこんと座って吉羅を待っていた香穂子は、時計の文字盤を見て溜め息をついた。

(コートがあるから、外へ食べに出たとは思えないんだけど…)

 吉羅は学内のカフェテリアは使わない。だから、コートがここに置かれたままになっている以上まだ昼食は摂ってないことになるはずなのであるが…。

(捜しに行って擦れ違うのも嫌だし、それにもうそんな時間ないよね…。…そうだ!)

「リリ! リリ聞こえる? 聞こえたらちょっと来てもらってもいい?」

 香穂子が声を張って数秒もしないうちに、空中に金色の光が弾けた。

「我輩を呼んだか? 日野香穂子」

 光の輪の中心に現れた妖精に、香穂子はソファから立ち上がると微笑みかけた。

「来てくれてありがとう。呼び出しちゃってごめんね」

「いいのだ、日野香穂子。我輩はお前と話すのが好きだから、呼んでくれるのはいつでも大歓迎なのだ〜!」

「私もリリと話すの好きだよ。でもね、今はお喋りじゃなくて、ちょっと頼みたいことがあるんだけど…」

 香穂子が切り出すと、リリは小さな顔いっぱいに好奇心を浮かべ、訊いてきた。

「お前が頼みごととは珍しいな。それでお前の頼みとは一体なんなのだ?」

「うん…、あのね、吉羅さんが今どこにいるかわかる?」

「吉羅暁彦の居場所!? …ちょっと待つのだ、日野香穂子」

 言い終わるやいなや掻き消すように、その小さな姿が消える。





「わかったぞ、日野香穂子!」

 リリはすぐに戻って来た。

「ホント! どこ?」

「吉羅暁彦は今、会議室だ。何でも午前から行なっている『みーてぃんぐ』というものが、長引いてるらしいのだ」

(となると、昼休み中に戻ってくるのは難しいかもしれないな〜)

「そっか。リリありがと。助かったよ」

「なんのなんの。お前が我輩を救ってくれたことに比べたら、これくらいお安いご用なのだ」

 ニコニコと屈託の無い笑みを浮かべるリリに笑顔を返しながら、香穂子はチラリと時計を見た。
 昼休みは、もう後5分しかない。

「あ、ごめんリリ。もうちょっとお話していたいんだけど、後少しでお昼休み終わっちゃうみたい…。
だからお喋りは放課後、ね? 後で私、ファータショップに行くから」

 香穂子が言うとリリは素直に頷いた。

「わかった。それではまた後で、なのだ〜!」

 リリが姿を消すと香穂子は急いで窓際の吉羅のデスクの所へ行った。
 デスクの上に先日香穂子が贈ったペーパーウェイトが置かれているのが見えて頬が緩む。
 香穂子はデスクの上から、星奏学院のロゴが入ったメモ用紙を1枚破り取ると、側に置かれていた高級そうな万年筆を手に取った。










「やれやれ…」

 理事長室の扉を開けながら、吉羅は大きく息を吐き出すと、強張ったこめかみに手をやり、揉みほぐした。
 予定を一時間もオーバーして終了した今日のミーティングに、彼は遅めの昼食を摂りに出かける気力もないほどの疲労を覚えていた。
 書類の束をデスクに放り投げると、デスクチェアに溜め息と共に身を沈める。
 その視線がふとデスクの一箇所に注がれた。

「ん? …何だこれは?」

 引き寄せて、ハラリと包みを開けば一番上には1枚のメモ用紙。





『このあいだは美味しいおすしをご馳走様でした。
そのお礼、というほどのものではありませんが、今日の調理実習の成果です。
お口に合うかどうかわかりませんが、宜しければどうぞ。



                                          日野


P.S 購買のおにぎりもつけときました。』






 文字を追う吉羅の瞳が見開かれる。
 やがて。
 彼の口許にふわりと柔らかな微笑が刻まれた。












 その日の放課後。
 約束どおり少しファータショップに立ち寄って、品揃えのチェックとリリの話し相手を少し勤めた後、香穂子は今日は予約の取れた練習室で、1人自分のパートをさらっていた。
 不意に聞こえてきたノックの音に手を止める。
 扉の方に目を向けた香穂子はそこに立っていた男の姿を認め、顔を輝かせた。

「吉羅さん!」

「練習中失礼。――これを返しに来た」

 返品? それとも容器の返却?
 ドキドキしながら、包みを受け取った香穂子は、鞄に仕舞うために吉羅に背を向けると、おそるおそるそれを振ってみた。
 ――軽い。

(やった! 全部食べてくれた…!)

 飛び上がりたくなるほど嬉しくて。よっしゃあ! と吉羅に見えないように、躰のかげでぐっと拳を握り締める。
 このところお弁当を作りながら、毎日母親に料理を習っていた甲斐があった。
 そそくさと包みを鞄に放り込むと、香穂子はくるりと振り返った。

「あの…、お口に合いましたか?」

 香穂子の問いに、吉羅は僅かに口許を綻ばせた。

「ああ、たまにはこういう素朴な味も悪くない。…ご馳走様」

 そう告げる彼の声がいつもより優しく聞こえるのは気のせいだろうか?
 香穂子の頬が赤く染まる。

「この礼、といってはなんだが、気が向いたら、また君を誘わせてもらおう」

 いいかな? と問われ、香穂子は満面の笑みで頷いた。




update : 07.10.13


これを書き終わった後、アンコールコンプリガイドをパラパラと捲っていたら、 まだプレイしてない柚木引継にも調理実習ネタがあるのを見つけて慌てました(笑)
この創作でも茶巾寿司に変えた方がいいかなと迷ったのですが、寿司に寿司で返してもねぇ…ということで、 急ぎ天羽ちゃんの台詞に茶巾寿司関連を書き足した次第です。あー、焦った〜(笑)

アンコールから追加された吉羅の微笑み顔がとても好きですv
彼は、釣り目、への字口がデフォなので(笑)、ほんの少し目尻を下げて、口角をちょっと上げるだけで、驚くほど柔らかい雰囲気になりますよね。





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