落花流水
 白い閃光が辺りを包み込む。
 まばゆい光に瞳をやかれ、瞬間何も見えなくなり私は立ち尽くした。
 やがて光は去り、取り戻した視線の先に立ちつくしていたのはこの世の誰よりも愛しい男(ひと)
 会いたくて、会いたくて、堪らなかった唯一人の男(ひと)。

「――アクラム!」

 熱い涙が盛り上がるのがわかった。
 滲む視界の中、舞い散る桜の花びらを纏わりつかせ、長い金糸を靡かせたアクラムが私の姿を認め、呆然としたように口を開くのが見えた。

「神子…どうしてお前が…。もう二度と会えぬと思っていた…」

 懐かしい彼の声に胸がいっぱいになる。
 低く深みがあって艶やかな、一度聞いたら、忘れようのないこの声は、今微かに震えていた。

「でも、会えたよ」

 言いたい事は沢山あるのに、それだけを言うのがやっとで…。

 伸ばした両手に彼の大きな手が重なり、白い直衣の胸に引き寄せられ、きつく抱きしめられる。
 衣に焚き染められた懐かしい彼の香りに包まれ、うっとりと目を閉じて…。
 ゆっくりと紡ぎ始めたアクラムの言葉に耳を傾けた。


「すべてを失ったと思っていた。もう、とりかえしはつかないのだと何度も思った。
 一番大きなものは失ってからわかるのだと思い知らされたのだ。
 一族を失い、己の世界を失い、そして何よりお前を失い…。
 それでも生きている自分が、そして私からお前を奪ったすべてが憎かった」

 苦しげなその声に顔を上げ、アクラムの端整な美貌を見つめる。

「そしてお前が守った世界が、自ら滅びにひんしているのが不快に見えたのだ。
 私からお前を奪ったものが、お前の与えたものを捨て去ろうとしているのが…」



 …私の…守った世界…? 
 確かあの時龍神は、時空のどこかで、誰かの祈りに黒龍が応えたと言っていた。
  ならば、黒龍にのまれて彼が飛ばされた先というのは…。


「ねぇ、アクラム、それって…」

 言いかけた私の言葉は、続く彼の衝撃的な発言で頭から消し飛んでしまった。

「――いや、本当はそんなことはどうでもよかった。
私は死にたかったのだ。―――お前の喪失が耐えられなかった…」

 胸がギュッと締めつけられたような気がして、思わず胸を押さえた。
 俯きがちに話す彼の整った顔は京で最後に見た時よりも、少し痩せていて儚げに感じられた。
 私の瞳から再び新たな涙が溢れ出す。
 慌ててゴシゴシと目を擦って涙を拭うと、精一杯の笑顔を作ってアクラムに微笑みかける。
 それでも、涙は後から後から溢れて止まってくれなかったから、きっと泣き笑いの変な顔になっていたと思うけど。

「ここにいるよ」

「神子―――」

 アクラムがハッとしたように顔を上げ、私を見つめた。

「私がいるよ」

 涙でぐしゃぐしゃの顔で、もう一度微笑むと、ああ、そうだな、とアクラムもやっと笑ってくれた。
 その綺麗な蒼い瞳が潤んでいるように見えたのは私の気のせい?

「そして私もここにいる。ずっと、お前のそばに…」

 もう、我慢出来なかった。たまらずアクラムに飛びつくと、私は彼の胸に顔を埋めて、声を上げ、 泣きじゃくった。
 そっと背中に回された彼の腕は温かく―――
 そして優しかった。
















「―――お前が私を召喚してくれたのか?」

 ひとしきり泣いて漸く私の涙も乾いた頃、彼がぽつりと呟くようにそう言った。

「うん。最初にあなたの呼びかけに私が応えたこの場所で、今度は私の呼びかけにあなたが応えたんだよ」

 でも、と私はふふっと笑った。

「私が呼ぶ前から、あなたもずっと私を呼んでくれていたでしょう?」

 その言葉に彼は細い顎に手を当てて、少し考え込むふうを見せた。

「お前が私に応えたのか―――私がお前に応えるのか、もはや私にはわからぬし、わかる必要もない。すべては闇に消えた」

 そうして、と彼はあでやかに微笑んだ。

「私に残るのは、私を見上げるお前の美しい微笑みだけなのだ」

「そ、そんなことないよ!泣き腫らして、私、今、きっと酷い顔してる。目も真っ赤だろうし…」

 赤い顔をして、慌てて首を振って否定する私にアクラムは、うっとりとするような優しい声音で、神子…と囁く。

「お前は本当に何も知らぬ。自分が何者なのかをまるで気にもしていない。
だが、それは私も同じだ」

「アクラム…」

 そうして彼は、京で何度も見たあの自嘲するような寂しげな微笑みを浮かべた。

「私は自分が何者であるか、今やわからないのだから…。
しかし、何者でなくともかまわない」

 しなやかな指がそっと私の頬に触れ、彼の瞳の色が深みを帯びる。

「私はお前のために生まれ変わろう。愛するお前のために…」

 あまりの幸福感に目眩さえした。歓喜に頬が熱くなる。
私は深く頷くと彼の手に自分の手を重ねた。

「私はもう龍神の神子じゃない。あなたも、もう鬼の首領じゃない」

 生まれ持った強大な力とその正統な統率者の血筋ゆえ己の心さえ恐ろしげな仮面の下に押し隠して、滅びゆく一族の命運という重責を1人その肩に背負って生きてきた不器用で哀しい人―――

 私は、あの鬼の庭での最後の逢瀬の時「お前にすべてを投げ渡すことはできぬ」と―――「一族のためもう、ひくことはできぬ」と己の心を封印して、あくまで私と戦うと告げた時の彼の苦しげな表情(かお)をずっと忘れることが出来なかった。
 今、漸くアクラムはその枷から解き放たれるんだ。
 これからは彼も、やっと自分のための人生を生きる事が出来るのだと思うと心底嬉しかった。

「だから、私たちはもう、『相容れない存在』じゃない。そうでしょう?」

 にこりと笑みかけると彼も目許を和ませ、頷いた。

「神子…」

 2人の視線が重なる。私の頬を包み込んでいた手に力が入り、軽く仰向かせられた、と思ったら唇が重なっていた。

「ん…」

 重なると同時に滑り込んできた舌に少し驚いたけれど、ぎこちなく応えていると頭の芯が痺れたようにぼうっとなり、段々と躰の力が抜けていく。
 とうとうかくりと膝が崩れて、慌てて彼にしがみつくと、そんな私を抱き留めてアクラムは優しい眼差しでこちらを見つめている。

「ごめん、何だか急に膝がガクガクして・・・」

 赤い顔で首を傾げる私に急におかしそうに笑い出す。

「何故そうなったのかわかっておらぬのか?―――まあ、いい」

 何だかよくわからないけど、子供扱いされてる気がする。

「あー、今子供扱いしたでしょ?」

「さあ、どうだろうな」

 ムッとする私を眺めながら、彼はまだくつくつと喉を鳴らしている。

「もう!」

 睨んではみたけれど、まだ力は全然入ってくれなくて。
 彼の胸に縋り付いているこの状況ではきっと効果はなさそう。
 溜め息をつくと私は話題を変えた。

「それはそうと、これからどうしようか?取り敢えず私の家に来てもらうしかないかな?
でも、行き成りアクラム連れて帰ったら、きっとお母さん、吃驚しちゃうよね…」

 その時シャランと鈴の音が響いた。
 同時にアクラムの表情がハッとしたように真剣なものに変化する。

「――何?…ほう。いや、今の私に否やと唱えん理由は無いだろう。
…いや、今、初めてお前に感謝する」

「アクラム…?」

「行くぞ、神子」

 急に抱き上げられて吃驚して彼の顔を見つめる。

「ええっ、い、行くってどこへ?」

 驚く私にアクラムはフッと笑って、答える。

「この世界での私の住処へ、だ」















 一瞬後、私たちはマンションの玄関と思しき場所に立っていた。

「アクラムってば!この世界では髪や瞳の色で迫害されたりはしないけど、でも、その力はやっぱり人前では使わない方がいいと思うよ」

「わかったが、しかし今は仕方あるまい」

「それはそうだけど…。それより、ここがそうなの?」

「そうらしいな」

 下ろしてもらうと靴を脱いで、取り敢えず部屋へ入ってみる。
 まだ新しい感じのそこは結構広くて綺麗だった。

「ねぇ、ここって龍神の…?」

 物珍しげに室内を見回していた彼がああ、と答える。

 じゃあ、さっきのってやっぱり龍神と会話してたの・・・!?
 そういえば、あの鬼の庭での逢瀬の時、初めて行った時にも、鈴の音が響くと同時に「―――これまで、か」ってアクラムは逢瀬の終りを察していたし、最後の時も「龍神が呼んでいるぞ」とやっぱり明らかに鈴の音が聞こえるような事を言っていた。
 八葉にも藤姫にも聞こえなかった―――私にしか聞こえないと思っていた鈴の音を聞くことが出来るなんて、やっぱりアクラムって只者じゃなかったんだな〜。
 そんな事を考えながら、窓の所まで来た私は外の景色を見て、あっと声を上げた。

「ここ、私の家と学校の丁度中間ぐらいの位置だ…」

 最寄駅から学校までの乗り換え駅で、駅周りは結構大きなショッピングセンターになっているこの町には高校に入学する前から何度も来た事がある。
 窓から見える駅周りの風景には見覚えがあった。

「がっこう…?」

「んっと…細かい事は後で説明するね。とにかくここは私の家から近いって事だよ」

「そうか…」

「うん!ふふ、何だか嬉しいな。そうだ、ここら辺の地理わかるから、私、何か飲み物でも買ってこようか?喉渇いたりしてない?大丈夫?」

ふと思いついて、そんな事を訊いてみる。

「…そうだな」

「何がい…ってわかんないよね。じゃあ適当に買ってくるよ。ちょっと待っててね」










 近所のコンビニに行くとちょっと迷った末お茶とミネラルウォーターのペットボトルを手に取る。
 次に食品のコーナーを覗くとおにぎりが目に入った。
 京にも屯食(とんじき)という名でおにぎりがあった事を急に思い出す。
 京のとは少し形が違うし、それに京では貴族が宴の時に下仕えの人たちにふるまう為の物だって聞いたから、鬼の中でも身分の高い…とゆーか最高位のアクラムが口にした事があるかどうかわからなかったけれど、でも、目にした事ぐらいは多分ある筈。
 この世界の食べ物にはこれから少しづつ慣れてもらうとして、全然知らない物より取り敢えず最初は馴染みのあるものの方がきっといいよね…?

 そんな事を考えた私は飲み物と共にそれも購入した。
 やっと買い物を終えると、私は急いで部屋に戻った。

「ただいま〜」

 部屋に戻るとアクラムは重たい直衣を脱ぎ捨て、中に着ていた小袖の上に袿を1枚纏っただけの軽装になっていた。
 その格好で部屋の隅に置かれていたキングサイズのベッドに腰掛けていたアクラムは、ぼんやりと何か考えているようだった。 

「お水でいい?」

 ガサガサとコンビニの袋から飲み物のボトルを出しながら、そう言うと手を振って止められる。

「いや、やはり今はいい。落ち着いたら、急に強い疲労を感じたのだよ。
今日はめまぐるしく色々な事があったからな」

 それはきっとそうだろうなと思う。私だって京に着いた初日は結構疲れて早く寝たもの。

「じゃあ、少し早いけど、もう眠った方がいいんじゃないかな。
ゆっくり休んでね。私、また明日来るから」

 ―――離れたくない。心に強く浮かんだそんな気持ちに瞬時に蓋をする。
 だって、疲れてるなら、ゆっくりと躰を休めた方がアクラムの為にはいいに決まってるもの。

「…そうだな。いや、神子、こちらへ―――」

 言われるまま、買ってきた物をサイドテーブルに置くと、彼の隣に座った。

「帰る前にもう一度、よく顔を見せてくれぬか」

 大きな手がそっと私の頬を包み込む。
 切なげな瞳で間直で凝っと見つめられ、鼓動がトクンとはね上がる。
 ああ、と彼は深く吐息をついた。

「―――こうしてお前に触れていても、まだ夢を見ているような心地がするのだよ。
お前のぬくもりも、微笑みも、全ては愚かしい私の胡蝶之夢に過ぎず、目覚めれば再び絶望に満ちた朝(あした)が始まるような気がして―――
身体は酷く疲れている筈なのに、何だかまだ目を閉じる気にはなれぬのだ。
神子…、あの滅びと絶望におかされ、自滅を望み、朽ちていく愚かな都でお前の夢を見ぬ夜(よ)はなかった…」

「アクラム…」

 押し殺したような声で静かに語られるその言葉に胸が痛くなった。
 私は彼の躰に腕を回すと力を込めてぎゅっと抱きしめた。

「ここにいるよ。あなたが不安なら、安心できるまで何度だって言う。
私はここにいるって、もう、二度とあなたのそばを離れないって…」

「神子…、お前のぬくもりを確かめたい…」

 抱き返された腕の熱さに私の胸も熱くなる。
 頬を染め、私はこくんと頷いた。
 何故なら、私もまったく同じ気持ちだったから。

 視線が深く絡み合う。
 どちらからともなく唇が重なる。

「んっ…」

 今度のキスはすぐに深く激しいものに変わった。
 深く舌を絡ませあいながら、柔らかく押し倒されて、鼓動が激しくなる。
 長くしなやかな指が襟元のリボンを取り去り、ブラウスのボタンを外していくのを感じ、一度目を開いたが、彼と目が合うと何だか酷く恥ずかしくて慌ててまた目を閉じた。

 やがて―――
 彼から与えられる快楽と痛みに何も考えられなくなっていく。
 引き裂かれるような痛みに思わず涙が零れたけれど、でも、やっと再び巡り会えた彼から与えられたものだと思うと、その痛みすら今の私には愛おしかった。















「―――つらかったか?」

 私の涙を唇で拭った後、労わるように訊いてきたアクラムに首を振る。

「ううん。確かに痛みはあったけど…。でも、それ以上に今幸せな気持ちでいっぱいだから…。
そ、それより、ねぇ、そんなに見つめないで…」

「何故…?」

「だ、だって…その…。だから、あーん、まだ恥ずかしくて、アクラムの顔、まともに見られないんだってば〜!」

 ダメだ、言ってるうちにどんどん恥ずかしくなってくる。
 かぁぁっと顔が火照るのがわかって、私は彼に背を向けた。

「フフ、可愛らしいことを…」

 そんな私を彼は背中から抱きしめる。

「好きにするがいい。お前が顔を見せたくないのなら、それもかまわぬよ。
今はこの腕の中にお前のぬくもりがある、それだけで、私は安らげるのだから。
…ああ、こんなに安らかな気持ちになったのは何年ぶりだろうな…」

 最後の自問するような言葉に彼の苛烈な半生が思い起こされて切なくなる。

「ね、アクラム、落ち着いたら、色んな所に行こうね。
あなたと行きたい場所、見せたい物、沢山あるんだ」

 でも、答えはなくて…。
 返事がないのを訝しく思って、そっと振り返るとアクラムは穏やかな寝息を立てて眠っていた。


 わー、やっぱり睫毛、すっごく長いよ。
 初めて見る彼の寝顔が―――その寝顔が穏やかなものであることが、何だかとても嬉しかった。


「えへへ、大好き」

 おやすみ、と呟いて、チュッと音を立てて薄い唇にキスをすると、彼の胸に顔を埋めた。
 目を閉じると急激に今まで意識していなかった睡魔が襲ってくる。
 おやすみ、ともう一度呟くと、私は幸福な気持ちでそれに意識を委ねた。





update : 05.4.28


今回はあかねちゃんの心情を細かく追いたかったので私にしては珍しい一人称形式で書いてみました。
えっと、このジャンルでは一人称はセフルの話以来かな?

タイトルの「落花流水」とは心が通いあった相思相愛の男女を表わす四文字熟語です。
詳しくはタイトルバーを参照でv
いつか使ってみたいとずっと思っていましたので、今回それにあった話を書く機会が出来て嬉しかったです。

ちなみに私のイメージでは華やかな美貌を持ち、苛烈で傲岸不遜でありながら、どこか儚げなイメージが付き纏うアクラムが「花」、そんな彼の全てを受け入れた優しくてしなやかで強い深い包容力の持ち主のあかねちゃんが「水」です。
普通は男女イメージが逆なのかもしれませんが、この2人に限っては私の中ではそんな感じです。


アクあかEDは現代ED、しかも龍神様の加護有りときてますから、お話は作りやすかったんですが、アクラムと龍神との遣り取りは最初どういうふうにしようかちょっと悩みました。
作中にも出てきますが、八葉抄でアクラムイベントが起きた時に何度か鈴の音が聞こえる度に「―――これまで、か」とか「龍神が呼んでいるぞ」とか八葉にも藤姫にも聞こえない鈴の音が明らかにアクラムには聞こえているふうで。
でも、鈴の音は聞こえても、声まではどうなんだろう?龍神と対話出来るのって
神子だけじゃなかったっけ?と暫し考えていたら、そういえば2のおまけイベント「京の小正月」で「―――黒龍の、声?」とか「黒龍よ、私はお前の思惑通りに動いてやるつもりはない」とかアクラムってば思いっきり黒龍と会話してたのを思い出したのでした。
しかも神様お前呼ばわり…(^_^;)さすがお館様です(笑)


EDのアクラムはあかねちゃんにベタ惚れで頬が緩みましたv
情熱的な台詞の数々にもうっとりですv
ほんとアクラム、素直になると凄い事言いますわv(笑)
1000年の時空を超えた生き別れにはさすがに傲岸不遜で意地っ張りなアクラムもこたえたようで、あのアクラムが素直になるんですから、2でのつらい経験も無駄ではなかったんだなぁと思いました。
これからは金髪碧眼でも迫害されない世界で、彼が本当に望んでいたあかねちゃんと2人で幸せになって欲しいと心から願います。





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