風花の祝福
 しんしんと―――
 音無き音の気配を感じ、あかねは不意に目を開けた。

(……眠っちゃったみたい…)

 慌ただしく互いを求め合い、また別れていく刹那の逢瀬の筈がいつの間にか眠ってしまっていたことに軽く苦笑しながら、酷く冷たい空気にぐるりと首を巡らせれば、格子の隙間からほの白い光が差し込んでいるのが目に入る。
 そっと男の腕の中から抜け出すと、素肌に脱ぎ散らされていた単を纏って。
 規則正しく寝息を立てている男を見下ろすと、少女はふわりと優しい笑みを浮かべた。

(――今日は特に予定も無かったし、たまにはいっか)

 彼の寝顔を見るのは無論これが初めてでは無かったが、人目を忍ぶ逢瀬を繰り返してきた彼女にとってはそう度々あることでも無い。





「つめた…」

 ひやりとした板敷に一歩を踏み出しながら。
 この屋敷を訪れるのも、もう何度目になるだろう?
 何とはなしに目の前の几帳の朽木模様を眺めながら、ふとそんなことを考える。
 ランが桂の神子を名乗っていた当時その地にあった一見立派だが、その実鷹通が踏み込んだ時には内部は廃墟同然だった桂の屋敷とは対称的に、崩れかけた外観とは裏腹に屋内には最低限の調度が揃うこの屋敷は鬼の一族の者が洛内に潜む時の為に幾つか存在する隠れ家の一つであるという。
 多分五条堀川のあたりだろうとあかねは見当をつけていたが、男の使う術という常ならざる方法によって、この地を訪れる彼女にとっては正確なところは知り得る筈もなかった。



 そんなことをあれこれ思いながら、そっと妻戸を押しあけると。

「わぁ! やっぱり…」

 思わず零れた小さな歓声に慌てて自分の口を押さえたのも一瞬のこと。
 目を輝かせるとあかねはそのまま小走りに簀子の端まで走り出た。

「……綺麗…」

 数刻のまどろみのうちに外は白銀の世界に一変していた。
 あかねがこの屋敷に着いた頃は、厚く垂れこめた鈍色(にびいろ)の雲が空を覆い、茶色く霜枯れた草木ばかりが目立つ、そんな寂しげな景色だったのだけど。
 手入れする者のいなくなって久しい荒れた庭は今、雪化粧を纏い、白く美しく、静かに佇んでいた。

 ほう、と溜め息をつけば白い息が大気に溶けていく。
 眩しい雪明りに目を細めて空を見上げれば。
 白い風花が宙を舞い、庭の前栽に桧皮葺(ひわだぶき)の屋根に、そしてあかね自身のサラサラとした桃色の髪や華奢な肩に後から後から降りかかる。















「―――すっかり降りこめられてしまったな」

 静かにかけられた声に軽い驚きと共にあかねが振り返ると男は二枚ばかり重ねていた袿を肩から滑り落としているところだった。
 そのまま手にした衣を黙ってあかねに着せ掛けてくれる。

「ありがと」

「……雪見には向かぬ格好だ」

「あなただって」

 苦笑混じりの男の言葉に、彼女に袿を与えたせいで、やはり単だけになってしまったアクラムに軽く肩を竦めて。
 クスクス笑いながらあかねが言い返すと男はわざとらしく顔を顰めてみせた後、すぐに彼もまたクスリと笑みを浮かべた。





 暫くそのまま二人黙って雪を眺めていた。
 さらさらと雪の降り積む微かなその音だけが辺りを包むすべてで。
 静寂が支配する一面白の世界で二人身を寄せあっていると、まるでこの世界には自分と彼の二人っきりしか存在してないかのような甘い錯覚に捕らわれそうになる。
 その甘やかな想いのままに、ふと隣の愛しい男(ひと)を振り仰いだあかねは、その瞳を細めた端整な横顔が、どこか遠くを眺めるような――或いは何かを懐かしむような眼差しであることに気が付いた。

「アクラム…?」

 しかし、物思いに耽る男からのいらえは無く。

「アクラムってば…」

 つと袖を引くと、アクラムは碧眼を見開き、数度瞬きをすると、あかねの方を振り返った。

「…どうした?」

 その声はいつものように落ち着いた物ではあったけれど。

「どうしたって言うのは、こっちの台詞だよ。
呼んでも応えが無いし、それに何だかいつもと様子が違うから……」

 心配になって…、と付け足すあかねにアクラムは珍しく僅かに逡巡した様子を見せた後、口を開いた。

「…少し……考え事をしていた」

「考え事…?」

「ああ。私が生まれた日の朝も大層雪深い日だったと聞いている。
無論その時の記憶などあろう筈も無いが、それはきっとこのような風情であったのだろうかと思うてな」

 男の意外な答えにあかねの大きな瞳が丸くなる。

「アクラムって冬生まれだったんだぁ! ね、誕生日っていつなの?」

「――誕生日? 生まれた日のことか?」

「うん!」

 突然一段と高い声をあげてはしゃぐあかねを不思議そうに眺めながら、彼は細い顎に手をあてる。


「そう…確か…師走の初め…四日ばかりの頃か……」

「それって今日じゃない!?」

「…そのようだな」

 それが何か? とでも言いたげな落ち着いた彼の様子が生まれ日の意味合いが違う世界に生きるのだから仕方ないとはいえあかねには焦れったい。

「生まれてすぐの時は産養(うぶやしない)とかで盛大にお祝いするけど、普通はお正月に一斉に年取るからかな〜。
 こっちの人って生まれた日に対する関心、薄いんだから」

 もうっと溜め息をつくあかねを面白そうに見やると、それではそなたの世界ではどうなのだ? と、アクラムは彼女に問うた。

「私の世界? 私の世界では皆、生まれた日にそれぞれ年取るから、自分や大切な人のお誕生日は程度の差こそあれ誰にとっても特別な日だよ。
 だからその日はお祝いに家族や大切な人と過ごしたり、贈り物をあげたり、もらったり…」

 そこまで言いかけたところで、突然あかねはにっこりと微笑んだ。

「――どうした?」

 本当によく表情の変わる娘だ、と思いながら、笑みを含んだ声でアクラムが問い掛ける。

「ん、あのね…今日はアクラムのお誕生日なんでしょう」

 そう言って後ろ手に軽く両手を組むと小首を傾げながら、ニコニコと彼を見つめる。
 そうして彼の稀なる少女は思ってもみなかった言葉を口にした。

「じゃあ、きっとこの綺麗な雪景色は天からあなたへの贈り物だね」

 そう言うと嬉しそうに再度にっこりと笑う。

「何を」

 くだらぬことを、といつもの如く続けようとしたアクラムは、少女のその雪明りよりも眩しい笑顔に言葉を失う。



―――京を巡る戦いは未だいつ果てるとも知らず
―――天意は未だどちらの物とも定まらぬこの現世(うつしよ)なれど
―――だが、お前がそう言うのならば

 アクラムは双眸を細めるとフッと笑った。

「ならば、今日のところはそういうことにでもしておこうか」

―――今はそう思ってみるのも悪くない


「うん、きっとそうだよ!」

 元気いっぱいに答えると、あかねは一歩アクラムの方に近付いた。
 顔を上げて真っ直ぐにアクラムの瞳を見詰める。
 深く、蒼く、澄んだ眼差しは凛とした大気の冬晴れの空のようだとあかねは思う。

「お誕生日おめでとう、アクラム。
空からは風花の祝福を――そして私からは祝福のキスを…」

 そう言って精一杯背伸びして彼に口付けた。

 だが、そうしながら抱き締めた躰は氷のように冷たくて。
 驚いたあかねは思わず躰を離すと、泣きそうな顔をしてアクラムを見上げた。

「ごめんなさい。私のせいでこんなに冷たくなっちゃって…」

 ごめん、やっぱり返す〜、と慌てて袿にかけた小さな手を、しかしアクラムはやんわりと押さえると、フッと笑い、首を振る。

「なに、かまわぬ。凍えたこの身は後程……」

 そしてあかねの耳元に唇を寄せ、低く囁いた。

「――存分にそなたが温めてくれるのであろう?」

 忽ち耳まで赤くなったあかねはこくりと頷くと、そのまま広い胸に顔を埋めた。






update : 03.12.4


お館様お誕生日記念創作です。
誕生日くらいお幸せに〜vってことで、私にしては珍しくちょいと甘めにしてみました(笑)
しかし、ありがちなオチだわ…(笑)

この作品は『Pygmalion』さんで企画されてます「Happy Birthday Project 2ed Acram」に投稿させて頂きました。
アクあか同志のまなさんに捧げますv





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