◆挿話三◆
最後の四神を解放するために藤姫が占いを行う朝であったが
あかねはこれまでの戦いの中で生じた様々な思いを整理するために、
早朝に一人館を抜け出し、清涼寺に足を運んでいた。



洛西の中でもかなり北に位置する清涼寺は
まもなく初夏にさしかかろうかという季節にもかかわらず、
ひんやりとした空気が辺りに緊張感を漂わせていた。

また、早朝のせいか、境内にはまだ誰もおらず、
うっすらとした朝靄の中、あかねは一人ゆっくりと歩きながら
これまでの戦いの中で見てきた鬼達を思い返していた。



(幸せって何なんだろう。人が考える幸せと自分の幸せ。
イクティダールさん、シリン、セフル。
彼らにとっての幸せってなんだったんだろう・・・。)



少し歩くうちに、咲き始めたばかりの下野(しもつけ)の白い花があかねの目にとまった。

「うわー。かわいいー。
なんだかこんな小さなお花を見てると、
私ももっとがんばらなきゃって思うよねー。」

下野の前に足を止め、
その小さくひっそりと咲く花に手を伸ばそうとしたとき
不意に背後から声が響いた。
そして、その声にあかねが反応するより早く、
緋色に染められた両袖があかねを優しく覆い隠した。




「お前という娘はどうしても我らに捕らえられたいようだな。
一人でこのような場所を出歩くとは・・・。
今度は連れ去ると言ったであろう?」

その身にまとった落葉の香を間近で感じ、あかねの頬は真っ赤に染まった。




「わ!わ!わ!アクラム!?」

「それとも私に会いに来たのか?
望みどおり、このまま我が元に来させてやろう。」

「ち、違うもんっ。ちょっと一人で考え事したくて。
ほ、ほら、イクティダールさん達のこととか。」

慌てたあかねはアクラムの両腕をつかみ、
軽くふりほどこうと試みたが、その振る舞いもむなしく、
アクラムはそのままあかねを背後から抱きしめ、話を続けた。


「イクティダール?
そういえば以前、お前は天の朱雀とここで、
あれの姉とイクティダールの話をしていたようだな。」

「ええ?なんでアクラムがその話を知ってるの?」

あかねは話が思いがけない方向となったことに意識が向かい、
アクラムに抵抗することをすっかり忘れてしまった。
その様子を見てか見ずか、アクラムはもう一度、
あかねが完全に隠れてしまうくらい強くその腕で包み込んだ。

「何度も言わすな。私はいつもお前のことを見ていると言っただろう・・・。」

「もーー!!何でそんなことできちゃうのよ!!恥ずかしいなぁ・・・。」




耳元でささやかれた冗談とも本気ともつかないアクラムの台詞に
あかねの頬はますます真っ赤に染まり、
その頬をなんとか隠そうと、あかねは両手を顔に寄せようとしたが、
その手さえもアクラムに取られ、完全に身動きが取れない状態になってしまった。


「まあ、そう言うでない。
それよりなぜお前はあれの姉とイクティダールの心配までする?
お前には関係のないことではないか。
それに天の朱雀もくだらぬ感傷を持つ。
イクティダール自身でさえ、我が命に従う限り、
どうしようもないことがわかっているというのに、
天の朱雀が何をしようとも、所詮、何も変わらぬ。」

「でも、だからといって、放っておくことなんてできないよ。
まして、イノリくんはお姉さんの幸せを
誰よりも祈ってるんだし・・・。
何も力になってあげられないかもしれないけど、
私にも何かできるんじゃないかって・・・。
きっと誰にだって幸せになる権利はあると思う。」

あかねはまるでアクラム自身に言い聞かせるようにそうつぶやくと、
最後にはふっと力を抜き、背後から支えるその存在に体重を預けた。


「そうやって他人を気遣う、その心こそがお前の強さなのかもしれぬな。
お前は自由で、そして自由であるがゆえに何にも縛られず相手を思いやれる。」

アクラムはもう一度、きつくあかねを抱き寄せ、
そのまましばらく何か考えているようだったが、
不意に力を緩め、あかねを解放した。

「だが、人の幸せは他人が決めるものではない。
人それぞれにしか答えはない。
そして、その幸せは自身で得ねば真に価値とはならぬだろう・・・」



アクラムはそう言うと、すっとあかねから離れ、背を向けると、
そのまま静かに立ち去った。




(人が考える幸せと自分の幸せ。私が考えていたことだ・・・。)

あかねはただ立ちすくんだまま、
いつまでもアクラムの影を追い求めていた。

「私の幸せ・・・アクラムの幸せ・・・」







いつのまにか境内を色濃く覆っていた朝靄は
アクラムの姿と共にあかねの言葉も跡形もなく呑み込んでいった。


辺りには元の静けさが戻っていた。





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