非道く冷たい雨が降っていた。
指先も凍るようなその雨に打たれアクラムは一人空を見つめていた。凍るように冷たい雨に打たれ思うのはただ一人の娘。
何故、こうまで自分は惹かれているのだろう?
どうしようもなく惹かれた想い。切ないほど胸の中に込み上げたその想いにアクラムは深い溜息を吐く。
出逢ったのは桜の頃。自分のための『道具』と割り切って引き寄せた筈のその少女の温もりに驚いた。
『どうして非道いことを!』
唇をきゅっと噛み大きな目に涙を一杯に溜めて食ってかかった少女の潔いほどに真っ直ぐな瞳。若草色の瞳に宿された涙を落としてみたい。
赤染めの桜、異界の桜……沢山の桜の下で交わしてきた逢瀬。気の強いその瞳がいつか自分を求める日を何処かで願っていた。
決して美しいというわけではない。
決して何かに優れているというわけでも。
ただ……伝わる『何か』の温かさが自分を引き寄せ縛り付けるのだ。
違う、か。
そのように甘い『感情』など持ちうるべくもない……持ち得ては、ならない。あれに惹かれるはひとえに己の『龍神の神子』を求めるという『欲』故……。
一度は『惹かれている』と自らの内から言の葉がこぼれ落ちたとはいうもののそれをアクラムは否定した。
その感情を認めることは出来ない。それをすることはアクラム自身からその矜持を捨てること。ただ人のように愚かに対を求めることなど、孤独に耐えられぬものの事。……故にそうあってはならぬのだ。
己に言い聞かせるように再び空を仰ぎ深い溜息を吐くとアクラムの背後から何かの気配がした。
「 アクラム?ねぇ、どうした……の?」
うち捨てられた東屋からあかねが顔を出す。
何度目かの逢瀬……それは『龍神の神子』を己の腕に閉じこめるための儀式なのだ、と言い聞かせ何度も肌を重ね合った。貪るようなその行為を続け……今宵も又藤の館より連れ去り此処に在る。
『神子自身が堕ちたいと願うから手を貸すだけだ』
そう己の行動に理由を付けてアクラムはあかねを連れて京のはずれにある東屋へと連れてきたのだ。
「寒い……でしょ?」
「……いや」
「ふぅん……じゃあ……私も其処に行く」
ふぅわりと単衣のまま雨の降る庭へとあかねは降り立った。ぬかるんだ庭であかねの白い足が泥にまみれる。その汚れ故に白い足の鮮やかさは更に美しく映える。
それは汚泥に花開く白蓮の如く。
「……濡れる、ぞ?」
「……アクラムは濡れている、でしょう?だから、良いの」
「……そうか」
あかねの桜色の髪が頬に張り付くのをアクラムはその指ではらった。
ただの男と女ではない。自分達は敵対する存在そのものなのに……互いにこうしていることを止められないのだ。
『龍神の神子』だから
そう言い聞かせても止まらない想い。
そう言い聞かせなければ保つこともできない己の矜持。
冷たい雨に打たれ抱くあかねの身体は非道く熱いとアクラムは思った。
「冷たい雨だね……」
「あぁ……そうだな……」
「でもこうしていると『ここ』だけはあったかいよね……」
アクラムの胸に頬を寄せあかねは目を閉じた。
ザーザーと雨の音だけがあかねの耳に届き外は白くけぶる。
「いつか……いつかこうして一緒に居られる日が来ると良いな……。二人だけしか要らないから……それしか願わないから……このまま時が止まればいいな……」
濡れて絡む髪をアクラムは繊細な指で梳く。あかねが笑うただ時間が止まればよいと願うのはあかねだけではなかった。
「そうだな……いつか私が仮面を捨てることが出来たのなら……」
「いつか私がみんなを捨てることが出来るのなら……」
「「一緒にいられるのかもしれない」」
溜息を交わすようにアクラムはあかねの冷え切った唇に己のそれを添わせた。冷たさの奥に宿る熱を何処かに感じ……。
あれから半年。
捨てられぬものを持ち続けた二人が姿を消したのは最後の夜だった。
「アクラム。ねぇ、こっちに来て。」
あかねの声が東屋から響く。アクラムはその声に呼ばれるまま庭の奥を目指した。
京から遠く離れた東屋は侘びしい暮らしではあった。けれどそれでも二人で居ることをあかねもアクラムも願っていた。故にどのような不自由も不遇も二人には関わりのないことだった。
「こんな時間にどうしたというのだ……?」
空気が澄み空が美しく煌めく。それは冬の空特有の光景であった。普段は一度寝入ったら決して途中で目を覚ますことのないあかねではあったが今宵はいつの間にか抜け出しこんな手入れもされていない庭先に居る。
「し〜っ。もうすぐだから。」
口元に指をあてて静かにすることを促されアクラムは仕方無しにあかねの隣りにたつとくるっと両腕であかねが冷えぬようにと包み込んだ。
「あっ。」
『ぽん』と小さく音をたてて庭にある白蓮が花開いた。
「聞こえた?季節はずれの花だから咲くかどうか心配だったんだけどね……きちんと咲いてくれたみたい。
あのね……これが咲いたらアクラムに見せようって思っていたんだ。しかも明日アクラムの誕生日でしょう?咲いてくれたら嬉しいなってね。」
エヘヘと笑って見つめる翠の目にアクラムは柔らかに笑った。
いつかあかねに白蓮を見たと思った。そして今その花は腕の中にある……。この想いがなんというのかは分からないがそれでも互いを求め止むことのない熱に浮かされる自分を感じアクラムは苦笑する。
「手折って渡すのはせっかくこの季節に頑張って咲いたあの花が可哀想だから一緒に見て上げようね。」
あかねの言葉にアクラムは「あぁ」と一言呟いた。
「ハッピーバースディー、アクラム」そう告げてあかねが唇を重ね二人は空が白むまで池の畔で蓮を眺めていた。
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